食品製造業においても日常的に使用される化学物質は、適切な使用がなされなければ健康上の悪影響を及ぼすリスクがあるため、労働安全衛生法で適切な管理が定められています。一方で、数多くある化学物質ごとに個別の規制値を定めての管理には限界があり、規制と健康リスクのいたちごっこを繰り返す状況にありました。このような背景をもとに、2024年4月に化学物質管理に係る労働安全衛生法が全面的に改正されました。法改正ではこれまでの「個別管理」から「自律的な管理」へと大きく考え方がシフトしています。今回の記事では、化学物質のリスク管理へについてわかりやすく解説したいと思います。
化学物質とは何か
化学物質とは、人間の身体を構成する有機物や身の回りにある全てのものの構成要素であり、その数は数100万種類もあると言われています。この中で、人の健康に影響するおそれのあるものが私たちが一般的に想像する、いわゆる化学物質となります。化学物質は一定の濃度を超えて取り扱う場合、例えば口からの吸入や皮膚からの吸収などで人体に取り込まれた場合、健康上の悪影響が出るおそれがあります。そのため、健康影響の出ないための管理濃度を「濃度基準値」として国が個別に定めていました。一方、使用者にとっては濃度基準値がないものは「安全だ」という誤った解釈が生まれ、過去には発がんなどの健康障害の発症で大きな問題となったことが数多くありました。そこで国は、個別の管理ではなく化学物質を一律に事業者の責任で管理するという考え方にシフトしました。これが、「自律的な」化学物質管理と言われる所以となります。
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2024年4月の法改正では、事業者が個々の化学物質のリスクアセスメントを行い、そのリスクの大きさに応じて必要なばく露防止措置をを講じることが義務付けられました。ばく露とは化学物質を吸入したり皮膚から吸収されることを意味するもので、それを事業者が適切に防ぐために「化学物質管理者」の選任が義務付けられたことも大きな特徴です。化学物質についての専門的な知識を修習した化学物質管理者が中心となり現場におけるリスクアセスメントの実施と、その結果に基づく適切なリスク管理が求められるようになりました。2026年現在、この自律的管理は製造現場管理の基本として定着しています。一方で、法改正の内容が非常に複雑で、それを正しく理解することが難しいのも事実としてあるかと思います。最も有効なのは、労働安全衛生法を熟知した労働衛生コンサルタントによる企業研修を受講することであると、自身は考えています。
有機溶剤の分類とリスク管理
化学物質の中で、まずは有機溶剤について解説します。有機溶剤とは他の物質を溶かす性質を持つ揮発性の高い液体を指します。揮発性とは気体へのなり易さのことで、多くの有機溶剤は常温でも気化しやすいという特徴があります。気化しやすいということは、人の呼吸で吸引しやすくなることを意味しており、気化のしやすさや有機溶剤のもつ人体への影響度がリスクアセスメントのポイントとなります。有機溶剤は製造業において塗装、洗浄、印刷など幅広い作業で使用されますが、人体に対しては呼吸器からの吸入や皮膚吸収により、中枢神経系への影響(麻酔作用)や肝臓・腎臓などの臓器障害を引き起こす場合があります。労働安全衛生法においては有機溶剤中毒予防規則で、そのリスクに応じて第1種から第3種までの3段階に分類されています。
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第1種有機溶剤は、最も有害性が高く、かつ揮発しやすい物質が含まれます。二硫化炭素などがその代表例であり、局所排気装置やプッシュプル型換気装置の設置により、経口吸収を絶対にしないための対策が求められます。第2種有機溶剤は、工業現場で最も頻繁に使用される区分となります。例えばトルエン、キシレン、メタノールなどが含まれ、一定の有害性を持っています。また、第3種有機溶剤は、ガソリンやミネラルスピリットなど、上位の2つに比べれば有害性は低いとされるものの、大量に使用することで急性中毒のリスクがある物質です。ここでは全体換気装置などによる空気の入れ替えが重要視されます。有機溶剤のリスク管理においては、まずは吸入を最小限に抑えることが不可欠です。これには、より有害性の低い物質への代替、装置の密閉化、または局所排気装置の設置といった工学的対策が最優先されます。
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このように人の努力などではなく、物理的、機械的に対策することを作業環境管理と呼んでいます。労働衛生の三管理の中では、次いで作業管理、健康管理という優先順位が決められています。例えば防毒マスクなどの呼吸用保護具の着用で防御する方法は作業管理となります。人が保護具を着用することで一定の効果がありますが、作業管理では例えば吸収缶の有効期間を厳密に管理しなければリスクを低減できないなど注意が必要となります。
特定化学物質の分類とリスク管理
特定化学物質は、がんや皮膚炎、神経障害などの重篤な健康障害を引き起こす恐れがある化学物質です。特定化学物質障害予防規則によって管理されており、その特性に応じて、第1類から第3類の3段階に分類されています。
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第1類物質は、発がんのリスク(がん原性)が極めて高く、労働者に深刻な健康障害を及ぼす恐れがある物質です。よく耳にしたことがある石綿(アスベスト)などが該当し、その製造や使用には厚生労働大臣の許可が必要となるなど、極めて厳格な制限下に置かれています。アスベストは現在は使用が完全に中止されていますが、耐熱性や耐摩耗性、絶縁性などに優れているという特徴から建築資材に多く使用された過去があり、古くなった建屋の解体は2030年頃がピークになると予測されています。そのため、解体時のばく露をいかに防ぐかが極めて重要な課題となります。第2類物質は、第1類に準ずる有害性を持ち、多くの化学工場や製造現場で扱われる物質群です。ベンゼンやアクリロニトリルなどが含まれ、その有害性の程度に応じて「特定第2類物質」や「管理第2類物質」といった細かな区分がなされています。第3類物質は、大量に漏洩した場合に急性中毒や粘膜への刺激を引き起こす恐れがある物質で、アンモニアや塩化水素などが該当します。これらは主に設備の腐食防止や漏洩対策といったハード面の管理が大切になります。
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特定化学物質のリスク管理で気を付けなければならないのは、たとえ低濃度であっても長い期間ばく露し続けることで、数年~数10年後にがんを発症するリスクがあることです。これを遅発性疾患と呼んでおり、目先ではなく長期的な視点からばく露を防ぐでことが重要です。長期的な視点での管理が必要であるため、第1類および一部の第2類物質については、作業記録や健康診断結果を30年間保存することが義務付けられており、退職後を含めた長期的な健康フォローアップが前提となっています。
労働衛生の「三管理」による体系的なアプローチ
化学物質のリスク管理を実効性のあるものにするためには、先に述べた作業環境管理、作業管理、健康管理の三つの柱の意味合いを理解して運用することが大切です。まず、作業環境管理は、有害な因子を作業場から除去、または低減させる活動です。具体的には、有害物質を発生させないプロセスの採用、局所排気装置やプッシュプル型換気装置による吸引、あるいは壁や仕切りによる隔離などが含まれます。定期的な作業環境測定を行い、その場が安全なレベル(第1管理区分)に保たれているかを客観的に評価することが基本です。作業管理は、労働者の働き方や行動をコントロールすることで、有害物質へのばく露を抑える活動です。正しい手順書の作成、保護具の適正な選択と装着、作業時間の制限などがこれに当たります。特に化学物質の自律的管理においては、化学物質管理者が現場の状況に応じ、最適な保護具を選定することがとても重要です。健康管理は、労働者の健康状態を健康診断でチェックし、異常を早期に発見して適切な措置を講じる活動です。化学物質を扱う労働者に対しては、雇い入れ時や配置転換時、そして定期的に行われる特殊健康診断が異常の早期発見のために重要となります。
生物学的モニタリングについて
健康管理の質を劇的に高めているのが「生物学的モニタリング」です。少し難しい言葉ですが、労働者の身体に化学物質がどのくらい取り込まれたのか、健康診断時に結果系を確認する手段となります。例えば、トルエンを作業者が吸入した場合、体内で代謝されて馬尿酸(まにょうさん)という物質が生成されます。尿中の馬尿酸を測定することで、実際にトルエンにどのくらいばく露されたかを確認できます。また、キシレンの場合は同様に尿中のメチル馬尿酸が検査項目となります。これらの数値が一定の基準(生物学的許容値)を超えている場合、作業現場の管理が適切におこなわれていないことを意味するため、直ちにリスクを低減するための対策が求められることになります。
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作業現場の管理状態の確認では、一般的に作業環境測定という測定がなされます。詳細は別の記事で解説予定ですが、作業環境測定の結果が良好であっても、生物学的モニタリングの結果が悪いケースもあります。この場合、例えば作業者の保護具の着用方法が悪い可能性があり、防毒マスクの顔面体への密着性(フィットテスト)などでの確認が必要となります。生物学的モニタリングは、トルエンやキシレン意外にも多くの物質に対して測定項目が定められており、ばく露量の推定において非常に有効な手段と言えます。
おわりに
化学物質は目に見えないものも多く、そのリスクを適切に把握して管理することが従業員の健康を守る上で重要です。2024年の法改正以降、私たちは「決められたルールを守る」段階から、「リスクを自ら評価し、科学的根拠に基づいて守る」段階へとシフトすることが求められています。職場で働く一人ひとりの健康を守るために、化学物質管理についての正しい理解が不可欠です。化学物質管理の法改正内容が難しくお困りの方は、是非当事務所までご連絡ください。大企業への指導実績もあり、わかりやすくご支援させて頂きます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。当事務所のHPにも是非お越しください。
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