食品製造において微生物は重要な管理項目の1つです。微生物の侵入を防ぐ、増やさない、殺すという3つのステップは微生物制御の3原則ですが、近年では微生物同定により菌種をしっかりと把握し、その特徴に応じた制御も重要になっています。今回は微生物同定技術について解説したいと思います。
微生物とは何か
微生物とは、肉眼では見えないほど小さい生物の総称です。微生物の種類は驚くほど多様で、地球上には100万種から1000万種もの微生物が存在すると推定されています。これは、動物や植物の種数をはるかに上回る数です。細菌、ウイルス、真菌(カビや酵母など)、藻類、原生動物などが含まれますが、食品衛生管理の観点からは細菌、ウイルス、真菌の制御に特に注意が必要になります。細菌は、単細胞の原核生物で球菌、桿菌、らせん菌など、さまざまな形態を持ちます。多くの細菌は食品腐敗や食中毒の原因となることがありますが、生物的にはペニシリンなどの抗生物質に敏感である特徴があります。ウイルスは他の生物の細胞内に寄生して増殖する感染粒子で、非常に小さく、細胞を持ちません。ウイルスは、遺伝物質(DNAまたはRNA)とそれを包むタンパク質の殻から構成されており、生物的には通常の抗生物質は効果がありません。真菌は真核生物で、カビや酵母、キノコなどが含まれます。細胞壁を持ちながら胞子によって繁殖し、食品の腐敗の原因になることがあります。一方、食品製造においては発酵によりパンやお酒をつくるのに利用するなど、人の食生活に欠くことのできない特徴も合わせ持っています。
微生物の生物学的分類
微生物は生物学的に、界(かい)、門(もん)、綱(こう)、目(もく)、科(か)、属(ぞく)、種(しゅ)という7階級に分類されます。これは、生物が進化する過程における体系を説明する上で重要です。界は、微生物全体を大きく分ける最上位の階級です。動物界、植物界、菌界などがあります。門は界の下位に位置し、共通の祖先を持つ大きなグループです。綱は、門の下位に位置し、より詳細な分類単位になります。目は綱の下位で、共通の特徴を持つ生物のグループです。科は目の下位にあり、形態や生理的な特徴が類似している生物のグループです。属は科の下位で属名と種小名を持ち、種は最も基本的な分類単位となります。食品衛生の観点からは微生物を属や種レベルで分類することがほとんどですが、この記事で取り扱う微生物同定は、属ではなく種レベルの特定を意味しています。
微生物同定技術の進化
微生物同定技術は長年にわたり進化してきました。初期には形態学的特徴(細胞の形、大きさ、染色性を顕微鏡で観察)、生理学的特徴(培地での生育のしやすさや酸素要求性など)、または生化学的試験(酵素反応を調べるなど)による分類がおこなわれてきました。これらは現代においても微生物の特徴を捉える上で重要ですが、微生物同定という観点では情報が不足しています。従って、その特徴をつかむことができても、種レベルの同定は困難でした。そこで、近年では分子生物学的手法が導入されるようになりました。分子生物学的手法としては、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応; Polymerase Chain Reaction)法が代表例として挙げられます。PCR法はコロナ禍におけるウイルスの検出技術として広く報道されたため、その言葉を聞いたことがある方も多いかと思います。
PCRによる同定法
生物は塩基(えんき)配列という設計図から成り立っています。塩基にはアデニン、グアニン、シトシン、チミンがあり、その頭文字をとってA、G、C、Tと表記されることがあります。このA、G、C、Tがいくつも並び(ヒトの場合は約30億個)、生物を形作る元であるアミノ酸を創り出しています。そして、アミノ酸からタンパク質が作られています。生物に特徴的なタンパク質を創り出すための塩基配列のことを、私達は遺伝子(いでんし)と呼んでいます。塩基配列であるため、遺伝子配列などと言うこともあります。PCR法は、この生物固有の遺伝子配列を解析し、微生物の種類を同定する方法になります。PCR同定法では、ポリメラーゼという酵素を使って特定の遺伝子の塩基を増幅させます。これは、増幅させることにより解析をしやすくするため(検出器で検出しやすくするため)です。特に、16S rRNAという遺伝子は、細菌の細胞内に存在するリボソームRNAの遺伝子です。すべての細菌に共通して存在し、進化の過程で種特異的に比較的ゆっくりと変化する特性を持ちます。この特徴から、16S rRNA遺伝子の塩基配列の違いを比較することで細菌の種類を同定することに役立つため、16S rRNA遺伝子は細菌の分類同定において広く利用されています。手順としては、一般的にDNAの抽出(微生物からDNAを抽出)、PCR増幅(16S rRNA遺伝子をPCR法により増幅)、シーケンシング(得られたDNAをシーケンシングし、配列を解析)、データ解析(相同性を調べて菌種を同定)というステップを踏みます。得られた塩基配列をもとに系統樹(けいとうじゅ)を作成することで、微生物間の系統関係を視覚的に確認することができます。この手法の開発により、微生物種の迅速かつ高精度な同定が可能となりました。この遺伝子解析手法は、ヒトではDNA鑑定などの言葉が使われています。親子関係があるかなどの鑑定で、ニュースで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
現在は、次世代シーケンサー(NGS)の利用が進み、微生物同定技術はさらに高度化しています。NGSは膨大な量のデータを効率的に処理できるため、微生物の多様性を一度に把握することが可能です。特にメタゲノム解析は、環境サンプル中のすべてのDNAを一度に解析し、存在するすべての微生物の遺伝情報を網羅的に取得する手法です。これにより、従来法では検出できなかった微生物や未知の微生物を発見することも可能になりました。一般的にはサンプル調製(DNA抽出やPCR増幅)、シーケンシング(次世代シーケンサーを用いて、大量のDNA配列を読み取り)、データ解析(得られたシーケンスデータを解析し、微生物の分類や機能を解析)というステップを踏みます。メタゲノム解析は数日~数週間を要するため時間的な律速はあるものの、微生物の群集構造やその生態系内での相互作用を深く理解することが可能となります。
MALDI-TOF MSによる同定
もう一つの革新的な技術がMALDI-TOF MSによる同定手法です。MALDIとはマトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix-Assisted Laser Desorption/Ionization)で、TOF-MSとは飛行時間型質量分析法(Time-of-Flight Mass Spectrometer)の略です。すなわち、MALDIというマトリックスを使った手法で微生物固有のリボソームタンパクをイオン化し、TOF-MSという手法でタンパク質の精密なこの技術は微生物のリボソームタンパクの質量分布を精密に測定することを意味します。微生物固有のリボソームタンパクの質量分布は指の指紋のようなもので、これにより菌の種類を同定することが可能になります。一般的な手順は、サンプル調製(微生物の試料をマトリックスと混合)、イオン化(レーザー光の照射によりマトリックスを昇華させて試料も気化・イオン化)、精密質量分析(生じたイオンは電場により加速され、質量の違いによるイオンの飛行時間が違いから精密質量を測定)というステップを踏みます。MALDI-TOF MSにおけるタンパク質などの高分子のイオン化技術は2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の研究によるものであり、微生物同定に革命をもたらしました。この手法は1検体あたりの分析時間が数秒から数分間で、その利便性からも多くの分野での利用が広がっています。
微生物同定技術の活用
食品製造業においては、微生物同定技術はさまざまな場面で活用されています。例えば、食品汚染の原因菌の特定、製造工程における微生物汚染のリスク評価などです。微生物の数だけでなく菌種を特定することで、適切な殺菌・制御方法を検討し、衛生管理レベルを向上するのに役立ちます。微生物の菌数および菌種の定期モニタリングは、製造プロセスに潜む危険因子の早期発見や未然防止に有効な手段と言えます。微生物同定技術は今後さらに自動化や迅速化が進み、AIによる学習機能を用いたデータ解析技術の進展により、より複雑なデータの同時解析技術の向上が期待されます。
まとめ
このように、食品製造において微生物は重要な管理項目であり、その数だけでなく微生物同定技術により種類を把握した上でのリスク評価と対策が重要となります。微生物のように肉眼では見えない世界へのアプローチは非常に難しいことですが、PCR法やMALDI-TOF MSなどの最新技術の活用により微生物の迅速かつ高精度な同定が可能となったことは食品衛生管理において重要な意味を持つものです。今後はAIによるデータ解析技術の進化など、さらなる発展が期待されます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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